の仕事での繋がりで久しぶりにご飯。
なんだかんだで離れた後もちょくちょく会っていて、仕事のこともそれ以外のことも、素直に真面目に話が出来る関係が出来たことは嬉しいなぁ。このメンバーで集まった時は話が尽きない。
見た目も育ってきた環境も違うけれど、おそらく根っこの部分での共通性があって、それが互いの経験を知識や知恵として嫌味なく素直に聞けるんだろう。
1人には仕事であれこれ事細かく教えていたけれど、今から思うと互いにあまりストレスなくスムーズに教える教わるが出来ていたなぁ。それと逆に、現在人間関係でこういう苦労があるあると互いに苦笑した。
またご飯食べたり、集まって楽しいことしたいな。

ほどには長い言葉を綴らなくなった最近だけれども、今また何か生み出したいという思いが日々湧き上がる。
写真、旅、言葉、音楽。
普段が数字に追われていて、その学びを深くしようという気力がしばらく無かったので、職場を変えたことが逆に責任感もどこかに置いてきて、仕組みについての理解もよくしないまま、単なる作業者に成り下がってしまったようで、本来のキャリアというところで果たしてプラスになったのかはよく分からない。
結局1人である程度を回せる方が楽なのかもしれない。責任の所在も、仕組みも理解できる。
相変わらず迷いフラフラし、現実逃避したいなんてよく思っている。
口ばかりももう流石に嫌なお年頃だし、行動に移していかないとすぐに半年1年が経ってしまう。

開放感

と安堵感に満たされる金曜の夜。
無駄な時間を過ごすことが楽しい土曜の夜。
私には何もないのではと時間の経過に怯える日曜の夜。
自分が何を成し遂げたいのかやっぱり探していて、それはおそらく自分の肚に落ちる納得のいく生き方をしていないのだろう。
書いて書いて書きまくれば少しずつ見えてくるものがあると聞いたけれど、いざ手帳を広げてみても出てくる言葉や欲求ごとはわずかだった。
自分の世界を構築したい。けれど行動力のない私は口先ばかり。
考えすぎる思考と感受性の強さを持て余して活かせないでいる。それが悔しいのだ。

ご飯

やお酒が美味しいかどうか、それも精神的な至福を満たしていること、というのは大きなバロメーター。
なんだか立ち寄りたくなったとふらりとやって来て、好き勝手話して、意気投合したり、その時間を楽しんだり。そういう場所と仲間があることは幸せだよ。これはずっと昔にずっと欲しかった幸せ。

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自分ごと

企画で写真展をやった。
カメラ歴はやたらと長いものの、自信がないからとあまり人に見せないでいた。
人が見に来てくれるかも不安であったのだけれど、わざわざ時間を割いて来てくれる友人知人仲間らがいてくれることはとても嬉しかった。写真やその他いろいろな話をしている中でパワーをもらうのは私の方。
淡々とでも、自分主体の企画はやっていきたい。そう思えるような経験だった。
私が大事にしたい空気感、光、少しは掴めたかなぁ?

だいぶ

離れてしまっていたなぁ。
Twiiterの便利さに、そちらにばかり愚痴をこぼしていた。もちろん鍵をかけて。
時折頭の中で綴っていた言葉は、脳内のどこか奥深くにしまいっこみぱなし。
思い切って環境を新しく変えた。前のつながりも幸いに少しは残っている。
自分の中のいろんな自負と、新しいことがなかなか掴み取れずに苦労しているしょうもなさ、悔し涙、ストレス、人のせいにしてしまいたい弱さ。
自分にとって1番苦手な方ばかり続けてしまっているのはなぜだろう。早くこれが肥やしになり咲かせられる時がきたらいいのに。自分にとって上手く生きやすいパターンって何だろう。
フラフラな頭と心でそんなことを考えていた。
自分ごと、自分主導の世界を作りたい。そういう思いがまたむくむくと湧いてくる。
アクセサリーをまた作り始めるのも、文章を綴るのも、音楽をやってみるのも、写真をするのも。
何かをクリエイトすること、そこに楽しみがあるのだろう。
もうすぐ1年が終わる。