何か

を考えたり思うこと、行動すること。それらを最近はエネルギーとして考えるようになった。
肯定するエネルギー、否定するエネルギー。
同じ「思う」ことでも、プラスの方向であれば積み上げ・構築の方にいくけれど、マイナスの方に振れれば抑圧・破壊となってしまう。
同じ物事を見ているようでも、ある人は10のものを観ているかもしれないし、別の人はそこに100のものを観ているのかもしれない。
その人の持つ気質によって、同じ物事を成し遂げるのに3しか使わない人もいれば、100使う人もいるかもしれない。
そんなことを考えていたら、自分の興味のあることを成し遂げるためには、持っているエネルギーをいかに効率よく使うかをよくよくやっていかないと、と思う。少なくとも最初に書いたように、抑圧・破壊の方に使ってばかりでは、エネルギーに満ち溢れていた20代前半までと違ってこれからの年にはもったいない。
「持っているエネルギーはとても強いのに」とは時々会う人に言われてきたことだけれど、「エネルギーを否定の方に使っているから、同じことを成し遂げるのに普通の人が使うエネルギーの数倍消費している」とも言われたっけ。相殺。
頭ばかり使っていると、知りもしない先々のことを机上の空論で片付けてしまって、未来を不安だらけにしてしまうから。新しいことを始めたりやっている趣味を深めるということに、肚を括ってもっと粘り強く取り組みたいし、口上を述べている間に少しでも手を動かしてアウトプットしていきたい。
それらがまた良いエネルギー循環になりそうだから。