友達が

所詮人は本当にわかりあえるわけがないって考え方で(おそらくそんなにネガティブな意味ではないと思う)、いつだか自分もそんな考えを抱いたような気がする。多分、藤君が「両思いっていうのは結局お互い同士の片思い・一方通行」だとかそんな発言をした前後。本当に確かなものはぬくもりだけだなって思った。なんでそんなこと考えたのか、今では思い出せない。
ある人の言葉が形成する世界観が好きだということは結構多い。親近感が勝手に湧くけど、その親近感を本当のもの、人間関係にできるかどうかっていうのはどうなんだろう。傷つけてしまわないか不安になることもある。だけどこう思うことって傲慢な考えかもしれない。
今現在読みかけの宇野千代の本に書いてあったこと。今日読んだところ。

「自信は成功の鍵である」
便秘が治った。こんなつまらないことでも、自分があれこれと工夫して、自分の工夫で成功したのだと思うと嬉しかった。何でもやろうと思えばやれるものだ、と思ったからである。この、何でもやろうと思えばやれる、と言う自覚くらい、自分にとって気に入ったものは私にはなかった。自分は何でもやれる。そうだ、何でもやれるのだ。そう思っているのは、何と呆れたものではないか。
(中略)
あなたは自分には能力がある、と信じきっています。その能力を生かしきるまでは、それこそ、死んでも死に切れない、とあなたは思っているのです。ご自分の体の片側に、どんなに火のつくような危険が近づいていようとも、あなたは能力ある人間として、毅然たる態度で生きていく義務があるのです。そうです。それが能力ある人間の義務だからです。

夢、理想へと思い描くイメージが大事なんだな。やっぱり。