終わりに

繁華街の中を通って帰っていたら友達がいた。今日は路上に出て歌う日。会うのは久しぶりで、ここ数ヶ月はあまり顔を会わせる事も、たとえ会わせてもマトモに話をすることもなかったなぁ。必ず誰かしらいて、友達はそっちのほうで別の友達と話をするのに夢中だったから。そういえば別のイベントに彼は気をとられていたっけ。
歌を聴いて20分くらいで帰るつもりが、なんだかんだと話し込んで真夜中3時過ぎまで話していた。夜の街は寒くて、北海道で寒さに慣れたといってもさすがに体の芯、心臓から震えがきた。
しばらく会わない間に、少し私の感じが変わったと言う。そうかしら?と思ったけれど、確かに以前に比べると自分の中の感情をより理解できるようになったかな。いつもは子供だ子供だと言われるけれど、彼自身もまた心境の変化があったらしく、あまりそういう感情を他人に抱かなくなったと言っていた。だけれどそれ抜きで、私自身もまた1つ大人の段階にいけるのじゃない?と言われた。
ここ最近感じた違和感、閉塞感をぶちまけて、私たちのように少人数、もしくは1人でも話せるという人のほうが最近では少ないと言われ。お互いが変わり者だということだとか(でも彼は相手に合わせて、いたって普通の人のように振舞っている)。
ここ数ヶ月で変わった経験とは何だろう、と思いを巡らせて。本を読むようになったことだとか、やっぱり日記をずっとつけ続けていることだとか、夏休みに年齢を異にする友達や初対面の人と遊んだことだとか、バイトをずっとしまくっていることだとか、内定式で行った東京がすごく楽しかったことだとか。変わった経験ってあるのかな?ほんの些細なことに過ぎないように思えるけれども。しかし私の中で心の糧になっていることは事実。
物事に熱中はしたいけれども、狭いところに囚われたくはない。保守的な意見を聞いて、よりいっそうその思いは強くなる。好き嫌いが激しい部分があるのは否めないが、まったくもっての拒否はしたくないし、烙印を押すようなこともできれば避けたい。烙印のイメージの世界に浸っているのは非常に楽なことだ。だけれど、もっと深い部分を知って欲しいし、知りたい。
冷めた冷めてない論争。少し冷めた部分を持った自分。もっと他人への思いやりの感情があればなお良しだって。今はまだ時々とんがり具合が強いときもあるけれども。より精神的な部分で高みのところには行きたい。