他人

からの評価に振り回されっぱなしだった頃は、情緒不安定に陥るのも非常に簡単で、おそらく挙動不審さと自信のなさが非常に強かったと思う。きっと今だって、人からの悪口やらに振り回されたら、いともたやすくそっちのほうに落ち込んでしまうのではないかとも思える。
他人の本心なんて本当は見えないほうがいいのかもしれない。ビジネスライクに付き合うとかならばともかく。ビジネス上での損得の本音なんて、まだマシなほうだろう。
路上で歌うことによってたくさんの人たちを見てきたという友人は言った。本音なんて聞かないほうがいいって。
他人が自分に悪意を持っていると思い込むことによって、気持ちがゆらいで辛いのならば、想像なんてしないほうがいい。ある程度の察知はできても、本当の本当、根っこの部分まで分かり合える人なんてそうたくさんはいないのだから。
でも結局コミュニケーションをとるということに関して、私たちは寂しがりで、飢えていることのほうが多い。
たとえ生ぬるいようでも、少しずつ距離を縮めていくようなやり方や、これくらいの距離をとったほうがよいのだと最初から離してやっていることが、異質な価値観を持つ世界では心地よいのだということを感じるようになった。だからこそ、その中で少しだけでも、心が近づけたら嬉しくなれるのだ。