自分

のルーツというものを探っていったときに、移動が激しかった片方の親により、その複雑さを感じざるを得ないが、でもその反面、自分の辿ってきた道などを振り返ったときに、それは親族・先祖間で上手い具合に出来ているのではないかと思う。引き付けられたかのように。
私自身あちこちの場所に住んで、人から忙しいねぇなんて言われるくらい。それでもなんとか、ここが生まれ故郷だし、親戚がいるということで根付く部分がある場所があるから違うのかな、とは思う。
生まれたところは九州の若干アメリカナイズされた町。母方の親戚がたくさんいる場所でそこまで車で30分くらい。小さかった頃は、ここで高校まで通うんだって思っていたけれど、期待は見事に裏切られ、一家は転勤。
次に引っ越したのはもっと小さな港町で、魚介類が美味しい町。方言がまったく異なって苦労したことを覚えている。関西弁にも似たアクセントは結局私はマスターしなかった。兄や姉はうつりやすいのか、イントネーションが見事にうつっていたが。
それから何の因果か、父の生まれた街へと引越しになる。詳細な町こそ違ったものの、中学生にでもなれば自転車で普通に行ける距離。父方の親戚はバラけてしまっていて、付き合いのあるほうが珍しいくらいだったけれど、その数少ない親戚に、今はなんだかんだで深くお世話になり、一緒に仕事もしている。
意識して行ったわけではないけれど、私が進学した先の街は、父が小学生になるころから住みだした街で、就職してからしばらくまで住んでいた。それも、私が住んでいた家から自転車で15分かそこらで行ける。
あちこちの街を転々とするような生活だけれど、その街々でなんらかの過去を拾うような。そんな気分に陥る。母方の親戚しかろくに知らなかったけれど、父方のほうとも関係が深まったこと。母の過去は簡単に拾えたけど、父の過去はろくに知らなかったものな。大阪で父方の叔母さんと話して、お互い初めて知ることも多かったしな。