もはや

何が流行するのかよくはわからなくて、ただただ名前を知っていて、少し曲を知っていて、もしくは結構いいなと思っていたりしたものが、明日には脚光を浴び、そのまた翌日には、懐かしいと言われるようなことだろうか。
主体性でキャッチするのではなく、浮遊に任せてキャッチする人には、たまたま先に知っていた私をすごいというが、そんなことはない。むしろその浮遊性が不思議でたまらない。消費されたくないと抗っている最後の人たちが、消費の現場に引きずり出されているようなことでなければいいが。