思想

的な独り言。
ウチソト区別があるっていうことは、本来は日本人の精神には公私をわけるということが明確にあったのではないか、という直観。
なぜかここ最近増えてきた風潮である、「他人に迷惑を掛けなければ何をやってもよい」というもの。しかし公共の場はみんなのもので、自分のものではないということ(これを実感するまでにはなかなか時間がかかると思う。私もなかなか出来ていなかったし、今でも穴はあると思う)。見苦しいという迷惑も存在する。
法律論になるのは、最悪の状況であり誰もがそのことを考えられないからの為のものであり、法律に規定されているうんぬんというのは最後の手段である。本来はその前に個々で考えるものであり、ケースバイケースに合わせるのが適当だと思う。自ら法律に判断を預けるというのは他人任せにすることであり、自分の判断の自由を放棄したことになる。
肥大化した自己愛を持て余していていいのは学生までで、もういい加減いい年になれば、それとある程度上手く付き合う手段を持たねばならない。大体において女性のほうが自己愛は大きいのではないかと思うが、最近男性も多いのかな、とも思う(女性が自己愛を持て余すケースよりもやっかいだったりして)。目に付くだけかな。
男には男としての自信やら何やらを見に付けさせ、女には分をわきまえさせるって誰が言ってたんだっけ?
抑圧うんぬんというものの弊害について見聞きしたけれど、西洋式と日本式は結構違うのかもなぁ。歪んだものはだめだけれど、ある程度の抑圧の訓練等は必要かもな、と思う最近。フロイト先生の時代のようなヒステリックな女性は、日本ではあまり登場しませんよ。
自分のやりたいことを究めるということは素晴らしいけれど、それが道を突き詰めていくことになっているのか、それとも自分のわがままなのか、というのは、その土台に他人の存在をどう思っているのか、ということがあるのかもしれない。それが一流なのかどうなのかというのを分けるのかもしれない。
低いところからは高いものは見えない。口だけで煩いことを言っているように感じていたことを、年月が経って少し理解できる。これらの考えは私のものではなく、親や学校の先生などの周囲の人たちから口やかましく言われたことが、ようやく巡り巡って自分自身の肌・血肉に溶け込んで、思考として浮上してきたことである。