普通

の人がぎょっとするものでも、昔に読んでいれば、好奇心のもとさりげなく手にする。
メンヘルだのどうのこうの、という言葉を見る。けれど多かれ少なかれ自分も含め自分の周囲にはそういう人もいたりいなかったりで。そもそも大学で心理学をやりたいとかいう人間の中には、時々そういう人間もいたりするもので、そういうごたごたも私のよく知りえないところであったなぁ、などと回想する。
ODをしていた友達の原因だとか病名だとかは私はよく知らなかった。ただ、よく自分でネタにして淡々と話してた。みんなが心配そうに相槌を打つなか、私はただそうなんだ、としか思わなかった。当人を目の前にして、それ以上何を言っていいのかわからなかった。別の共通の友達も私と同じことを言った。
頭が良くていろんな物事に対しての知識・分析欲があった友達は、自分の生い立ちの原因もまた理解しているようだった。


初めて人がフラッシュバックをする場面を見たことがあった。
あれは発作、あのときの友達は普段みんなの前で見せる姿とは大違いだった。今会ったって、私たちと楽しげに談笑する姿はいたって普通で、どこが病気なのかちっともわからないくらい。あれは完全に別人格だと思う。
ただ、昔に少し語っていた、気分が悪くなる前段階の出来事、そのやりとりの感情の応酬は、聞いているだけで自分の中でも容易に想像がつく。多かれ少なかれってやつだ。


自分自身のそれが思春期の一過性だったとしても、案外にそれは長く続き、そしてまたずっと心は満たされないままで、わりと重すぎるくらい負荷をかけてたかもしれない。
もう通り抜けてきたから、とすっきりした顔で言えるであろう最近、手にして久しぶりに勉強してみようと読み始めたときに思う次第。
いわゆるメンヘルの1つ、境界性人格障害というものは、性格上の問題だとかという風に記憶していたけれど、どうもそうではなく、下地になる要素はあるも、やはりいくつかの原因となるもの、特に見捨てられ不安というものが大きいと、この本の著者による。
エネルギーが非常に大きい人が多いので、相手をするのも大変だし、とことんまで行き着くときはとことんまで行ってしまう。ただエネルギーがなくなってくる年齢になると治ってくる、と聞いたが、どうも著者によるとちょっと違う解釈のよう。
研究が進んでいる成果なのかな。
そういえば、この症例だったのか何だったのかよく覚えてないけれど、密かに自己診断しつつ自分が当てはまることが結構多いことに気付いてたことがあった覚えがあるが。あれはどの症例だったろう。

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

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