ようやく

松下幸之助の本を読み進めている。通勤の帰り10分ほどの時間で。あともう少しで終り。
最初は唐突な感じがして、よくわからなかったけれど、これは松下幸之助という人が人生を通して達観したことを書いたことで、おそらく肌身感覚で感じることなのかな、とも思う。
「貧困は罪」
「生産と消費はバランスよくしなければならない」
このあたりはなるほどと思った。衣食がまかなえないほど貧困であれば、確かに道徳をいくら説こうとも生活の為に争わざるを得ない部分はある。それゆえにネガティブな感情なり出来事が起こるのならば、それは断っていかねばならないこと。
この間友人に、音楽も宗教みたいなものだ、だとか、宗教で集まっているのは寄り合いみたいな感じがするだとか話したけど、それに近いことを書いてあった。松下幸之助だったかはちょっとうろ覚えだけど。
音楽の言葉やフレーズに共感し、それを糧に生きているのならば、それは神を支えにして生きているのと、根本はそう変わらない。
音楽も宗教も共通言語なのだと思う。人によってはそれがまたスポーツであったり、小説であったりいろいろ変わったりするのだろうけれど。
最近別の本だったと思うけれど、意見の違う人間こそ尊重するべきだとする話。しんどいことも多い。距離はほどほどに保たないと疲れきってしまうこともある。けれど。自分と価値観の違う人をもっともっと尊重することが出来るだろうか。
つい会話している中では同じ目線に立っていると思いがちだけれど、日記とかを見てみればまったくもって違う次元だということがわかる。文章の会話の中では交じり合うことはないだろうな、と、一生懸命文章を綴る横でずっとそう思う。だからこそ逆に長文になってしまうこともある。
共感にもっていこうとするのがいいのか、どうなのか。でも相手はそれを求めていない気もする。だからといって突き放したいわけでもないようで。ただ事実を淡々と述べたいだけなのか。
自分の意見の甘さを実感するときであり、相容れないことが淋しかったりもして。
でも下手くそな共感をもらうよりもずっと正直な回答ではあるかもしれない。