ダメ

だって単語をたくさん聞いてきたような気がする。
それはある種の愛情だったわけでもあるだろうけど。
かごに入れられたみたいに思っていた。
他人に対する批判もたくさん聞かされた。
そのうちそれをそのまま自分の意見のように感じた。
代弁されたようにほっとすることもあったけど、気が狂いそうになるときもあった。
でもきっと辛かったのは怖いくらいに共鳴してしまうところだったんだろう。
相手の言葉に対して否定的な言葉を言う癖がついてしまった。自分では気づいちゃいなかった。正論吐くだけがすべてじゃないんだって。
大分自由になった今でも、向き合おうとするところでやはりどこか縛られる部分もあるだろう。
けれど。あまり多くは語らなかったけれど、この否定的な言葉で語られる屈折した愛情表現。きっとこれをずっと同じように受けてきたのではなかろうかとも思う。比較はしていないでしょう?と語るその言葉に、実は大きな傷があるのかもしれない。
「冷たいなんて言われるんだろうね」そんなことを言っていたような気がする。私は言ってないけれど。
義務と責任をきっちり果たしてはきただろう。思い返してもそうだ。最低限のことはちゃんと押さえてる。
余裕ができてきて、もっともっと遊びというものを知れて彩りを添えられたらいいね。そうしたらもうそんなことを思わなくなる。
絡めとられるように感じてたもの、年々それは薄まっている。
別の人間で、向き不向きはそれぞれで、良しとするものも違って。
どうぞ1つの人生の指針だと思えるように。
でも愛憎絡むのもそれもまた人間らしくはある。