が正しいなんてよくわからなくて、ファンタジーな世界。
相反する事、立ち位置の異なる問題、どうやってまとめられるのだろう、なんて頭の中はいつも疑問符だけつきまとう。
求められているから存在する。
それはおかしいことだと切り捨てられても、人の個性はそれぞれ違って、確かに人は誤った道に進むこともあれど、その個性存在そのものがおかしいわけではないはず。誤っているというのならば、そのことの因果をきちんと説明しなければ、それは単なる攻撃としかみなされないことになる。
聞き入れたい耳はあるというのに、説明も何もなければ取りつく島もないじゃない。

行動の矛盾も、時期の矛盾も、考えれば考えるほど逆にこちらが冷めてくるようで。分かりきったことを今更言われても困ってしまう。
人の感情に合わせるから、感情の振り幅が大きく不安定な人には疲れてしまう(だからそういう人や、動きの理由が見えづらい人を私は苦手とする)。
どうも人や物事を信用しすぎて自分の指針としてしまいがちなのかしら。人と比較してみるとそんな気がした。