友人

に誘われて夜ご飯を友人宅で。
いつものような会話をして。
やっぱり私は改革者で芸術家気質なのだなと思わされる。アンビバレトに振れる。飽きっぽく安定を実は好まない。
そういえばそうだなと思うフシがありあり。
分かり切ったことを延々と繰り返すことはすぐに飽きてしまう。
自分で実家を出るくらいの人らと付き合っているからか、親子問題について振り返り、そしてまた自覚のある人らが友人には多く、よく日記に書くようにここ最近はそういった友人らにずっとそのことを話したりしている。
親の言葉にいつまでも傷ついていて、そのことを謝ってほしいと思っている辺り、まだまだ心は囚われていて、最近はそういうことを思い出して自分の中の醜い感情に何度も向き合わされている。
不機嫌そうにしていると言われても、私の話す内容に否定を入れられて制御しようとすることばかり、褒めることもせずで、もう話すことが楽しくないのに、親は私に何をしてほしい、どのようになってほしいと思っているのだろう。
「うちは話し合いが足りなかったのだと思う」と友人の1人は言ったけれど、そう振り返ればうちでも話し合いなんてものはなくて、親の言うことが正しいかのような空気が流れていた。少々のやるやらないはともかく、本当の部分で逆らうことが面倒くさくて、家を離れるという選択が1番簡単な方法だった。
「あなたは素直に全部受け止めてしまうからね。」とまた別の友人が言った。
兄弟と比較されることが嫌だったとは昔に漏らしていた。ずっと自分は自分だとして話を聴いて欲しかったのかな。自分が正しいという主張をかざすのはその名残?
でも聞き流せない性格として、知っている人に対しての愚痴や批判を聞くことは辛かった。
私がこうやって度々思い出して辛くなるのは、下手に記憶力が良いということだけでなく、自分に近しいものほど判断が厳しくなるという性格もあるのかもしれない。
理解し合えない関係があることは100も承知。ただこうやって自分が今日健やかに生きていられることに、そのために労力をかけてくれたことに、感謝することだけに目を向けていられたらもっと楽なのだろう。
近しい関係ほど難しい。