のカメラもなんだかんだでもう随分と古いものになってしまって、さすがに買い替えを決意せねば。
感情を少しは上手く向き合えるようになったかしらとも思ったけれど、少し苛ついてしまったのは結局は調和という名の下に自分のコントロールに置きたかったということの表れだと思った。
まだまだ修行だなぁ。
そういう失敗を思い出しては苦い。
写真を撮ることにしても何にしても、惚れ込んで猪突猛進するであったり、人でもモノでもどこが長所で引き出せるだろうという視点。その意識か、と今日教えてもらった。
悔しいなぁ。やられたと思った。
勝ち負けじゃないし、優劣なんてつけるのはおかしいんだけれど、似たような土俵の上だとそう思ってしまう。でも分かりやすい言葉で行動で、教えてくれたことは有り難い。
説明の仕方というものは結構センシティブだ。私は自分に毒舌な部分があるくせに、意外に言葉に囚われる。
感性の違い、受け止め方の違い、受け入れる土壌の違い。
同じようなことを説明しているはずなのに、伝え方でこう違うのだなと思う。
「ことほぐ」と言っていた人が昔いたけれど、そんなことをしみじみ実感する最近。
あの人の言葉への怖さはまだあるし、それゆえにキャンキャンと言い訳がましくまくしたててみるけれど、その言葉の真意をより丁寧に知れたら、あの人の思いが少しは分かるかもしれない。伝え方が少々乱暴だっただけで、その人の言葉が間違っているわけではないことは重々承知しているのだから。