穏やかに

振る舞おうとしたり、徹底的に理性的に振る舞おうとしていた顔の裏で、実はかなり人の好き嫌いがある気の強い一面は隠し切れていないし、最近は隠そうともしていないなぁとふと思った。
今までは言葉に出来なかった分、それを言葉としてはっきりと形にした時に(もちろん明確な理由も述べた上で)、それが自分勝手のように思えていたのがやはり同じように思う人もいて、ワガママだとか咎められるようなことではないことを確認出来て少し安心した。けれどそれに囚われて過ぎるのもまた、あまり自分にとってはよくない執着になりそうだとも最近感じている。
明確な理由付けはあるにせよ、もしかしたら他の人だったらもう少し流せるところを審査員のようにこまごまと評価したり、反抗期の子供が親の一挙手一投足を嫌っているかのようにも思えて来て、それは自分自身の心とも向き合う必要があるのではという気もしている。
他人は自分の鏡。
習いたい姿も、反面教師も。
自分の価値観では許し難いあの人も、私が自堕落しないように見せてくれているのかもしれない。