昨日の本

をさらに読んでみて。自らを振り返る。
あまりこういう話が好きではない人はとばしてください。
前、ヒーゴーが言っていたように、中学生の頃というのはかなり心身ともに不安定な時期だと思う。この本では学校という大きな集団の枠に子供たちがおさめられることへの言及がされている。みんなが学校という枠に適合するわけではない。私自身、中学の頃というのは苦しい時期で、常に自己嫌悪といった感情に支配されていた気がする。でも親にはいっさいその苦しさは言えなかったし、言いたくなかった。いじめられるということはなかったが、特定のグループの枠に入りきれずにいて、みんなと違うのではないかという思いが常に私を苦しめた。
そのときから常に孤独感が私を苦しめたりするのだけれど、その分自分を振り返ることも多かった気がする。人から指摘された部分なども改善していこうとしたりもした。この経験からなのか年をとったせいなのか、昔の友達からは「まるくなったね」と言われたりするw
この孤独感は人間にはある種、必要なものなのではないかという言葉には勇気付けられた。ほかのことに投影したり依存することによって寂しさを紛らわすことも多い。でも自分に向き合わないと問題の本質が見えてこないこともあるという。


うちの父親は仕事中毒ではないが、あまり家のことをしない人だった。機械もよく扱えない。なのでうちは日曜大工なども母親の仕事で、そして父方の祖父の介護までもした(祖父はまだ手がかからないほうだと思われるが、それでも大変だったろう)。母はなんでも黙ってこなすかと言えばそういう人ではなく、きちんと自己主張できる強さを持っていたようで、父にも抗議をしたりしたようである。ニュースなどは欠かさず見ていろいろ思うことを言っていた。時々口をついて出る言葉に嫌気がさすこともあるが、子供を突き放す強さを持っていて、実家を離れあまり実家に帰らない娘に特に干渉もしないことに今更ながら、ありがたいなぁ、と思えるようになった。
実家を離れてしばらくたったときは、改めて母親という存在と自分の違いにばかり目がいって、母のここが嫌だと思うこともあった。でも最近はうちの母親のよい面も見えてきた。絶対といっていいほど、娘は母親に似る。それは性格的なものであったり、もういろいろなのだけれど。私も母のような親になるんだぁ〜と思うと、うーん・・・・・・強いなw(何
しかし、母親になるというのは愛情と憎しみが複雑に交雑しあうらしい。大変な仕事なのです。
そういえば、この手に関連すると思って、サーティーンという映画を借りようと思ったのだけれど、見つけ切れなかったや〜w