思うこと

人と話をしているときに、ついつい「でも」といった否定形を使ってる気がする。よくないな。昔、サークルの先輩にも言われたけど。
読みかけの本は読み終わった。ヒエラルキーにいかに自分自身の価値観が縛られているのかっていうのが、感じられる。今の社会形態はまさにキリスト教ヒエラルキーに縛られているなぁ。競争化社会っていう時点で。
一神教がこのように繁栄を誇る前は、たいていどこの地域も(ヨーロッパ、イスラムでさえも)日本と同じく多神教だったのだから、そのような考え方のほうが人間にとって身近であり、親しみやすいってことなのかも。そういえば昔、好きでよく授業をとっていた社会学の先生は、ヨーロッパの建造物を見るといかに彼らが民衆から搾取していたのかがわかるって言ってたけれど、それを明らかににおわせる文もあった。日本は学力、お金、権力っていうものが分散していたりするけれど(江戸時代だったら、貴族、外様大名親藩譜代大名のように)、ヨーロッパってその3つが一挙集中だものね。
迫害の歴史がすさまじいから、その破壊の歴史が自分ら聖職者に及ぼす影響っていうものを考えなかったのかな、って思った。なんだろね、この攻撃衝動と権力に対する野心。