先週

は寝過ごした授業にようやく出席。講義を聞きながら、もしかたしたら以前も同じような内容やったかなぁ?などと思っていた。今日やったのは嗜癖についてで、この手の内容はよくやるし、自分自身興味のある分野をやる先生であるから、ついついこの先生の授業を取るのだ。
私にとってショックな言葉であったのは、いつかバイト先の社員の人が「アルコール依存症というのに飲む量は関係なくて、毎日お酒なしではやっていられない(それがたとえ酩酊状態でなかろうとも)という状態でアルコール依存症なのだ」と言ったことだった。アルコール依存症というのは飲みだすと酩酊状態まで必ずといっていいほど酔っ払い、なおかつ日常に影響を及ぼす人のことだと思っていたからだ。その社員さんの父親は毎日コップ1杯のお酒を飲むだけだったけれど、たったそれだけでアルコール依存症なのだって。さすがに重症まではいかないが(けれど、よく考えると日常生活にまで影響を及ぼさない軽い状態の依存症というのは、まだ正常な範囲での依存かもしれない。そうでないとお酒を飲める人のほとんどがアルコール依存症と認知されてしまう)。
以前はそうでもなかったのに、最近飲みに行きたいと思っている私には少し耳が痛い講義で、今はまだ飲酒している日のほうが珍しいけれど、私にも十分その予備軍になるだけの素質は持ち合わせているのかもしれない。幼少期の母子関係がうんぬんの話で、昔の記憶がフラッシュバックして、昔抱いた嫌な感情を思い出した。けれどあんまり否定的なことばかり言うのはあんまりだと思うんだ。
すっかり忘れていた小さな頃のことを思い出した。デパートに行った時に、たまたまエスカレーターを降りる際に母親が知人と会って話し込み、私はそれに気づかずにエスカレーターに乗り込んでしまって、降りてからすごく母親を恋しがって泣き出して、そのただならぬ様子にお店の人がやってきて、降りてきた母親はたったそのちょっとのことに少し驚いていたのだけれど、どうしてあんなに泣き出したのだろう。あれってやっぱり幼児にしかわからないんだろうなぁ。たったその数分の出来事で母親を恋しがる感情というものは。