いつか

私は自分の手元に残るものは何もないという思いに囚われて、ひどく孤独を感じ、せめて音楽と、価値観・宗教心に近いコアなものと、美しいものを感じる気持ちとそれだけ詰め込めていられればいいのかなって思ったりもした。
けれども縁というものも信じている自分。昨日、友達に話したことには、残そう残そうと思ってすることは嫌らしさがある、欲に囚われている。残そうと思わないほうがかえってうまくいくと返された。持たざることの強み、開き直りの強み(仏教的無常観に触れた今日だから、この考えに非常に仏教的価値観を感じるw)。確かに今まで辛かったのは、無理につなげようとしたときだった。
友達の言葉が自分にも当てはまるのか半信半疑だし、その友達の言うことはいつもどこか私から少し離れているようで、どこか浮遊感をもって聴こえる(それは友達も、経験の違いでそうなるだろうとは言っているが)。執着したくなるけれど、執着しないことの大切さっていうのは、本当だと思う。私は執着が苦しくて自分から切り捨てた。
明日、またこの間一緒にランチに行った友達とランチに行く。きっとまたこういう話もするだろう。そのとき次はどのような色が生まれるだろう。