上澄み

だけをすくっていく。
たいていいつもそんな聴き方をする。LIVEのとき、私はどこか他のことを考えがちになる。歌詞の深い世界を聴けない。音の世界に浸るだけ。
この音は飽きたのだということを最近特に言いがちなのだけれど、そうやってなぜ嫌悪感にも似たような思いを抱くのか考えてみようと思った。答えは上手くはでない。きっと中学や高校生くらいの頃だったら喜んで聴いたのかな、とかいうことを考えてみる。吸収しすぎての飽和状態なのか、はたまたまったく今の私にはまだ理解できない世界ゆえの苛立ちなのか。
そういうときには、やっぱりEdBUSGDHMが聴きたくなる。
唯一無二、強いオリジナルの色を出せるということは、それだけで才能なのかもしれない。
空想はいくらでもとんでいって果てしない。その瞬間が好きなのだけれど、すぐに忘れてしまうことが悲しい。こうやっていくらでも文字に残したいという欲求が生まれる。だけれど、そういったことに囚われないほうがよいのだろうか、なんて思ってみる。
残るものはなんだろう。物が残るのはどれだけの間だろう。つかの間のことでしかない。永遠というものが私は実は恐ろしい。そんなものあるはずがない。だけど時折、それに似たことに思いを寄せる。それを望むことは無謀だというのに。