今日

真冬日だろう。天気は晴れ間をみせながらも曇りがちでまさに冬の日差し。陰鬱としている。風は芯から冷たい。
昨日の夜、文系理系のことをまた考えていた。最初は進路のこともあり、けんと話していて、それからサークルの先輩と話して。サークルでたびたび、理系の先輩たちが文系の先輩たちの神経を逆撫でするようなことを言っていたからこそ、余計にこのことに関心を持つようになったわけだけど。
バリバリの理系だった、その話をしている先輩から言わせたら、文系の人間と話していると、神の見えざる手というかそういうものがバックボーンにあるような気がして不思議な感覚、わけがわからないとのこと。アメリカなどでは法学の学士も理系科目の学士も持っている人がいるのに、日本ではなかなかそういうふうにいかない(もちろん、大学に2つ通うということが日本では稀だというのもあるだろうけど)のは、そのバックボーンにあるものが異なるからじゃないか、という結論に思い至った。
西洋諸国では深くキリスト教が浸透している。たとえば哲学なんかにしても、シンプルなものの考え方のギリシャ哲学は私も好きだけれど、中世時代になってくると数学的になってきてわけがわからなくなる。むしろ文系よりも理系の人間のほうが理解が早いのではないかと思う。自然科学はキリスト教を元に発生しているから、そのバックボーンは理系にしろ文系にしろ西洋の場合は同じといえるだろう。
だけど日本の文学にしてみれば仏教的思想価値観できたのがほとんど。自然科学の考え方が主流になったのなんてここ100年ちょっとのことだろう。
西洋的価値観でいえば何事も明確に説明できて、真実は1つなのだろうけど、仏教的価値観なんてそういう考え方じゃないし、自然発生的にものごとを考える節がある。
それを言ったら、先輩は、なるほど、宗教問題だからそりゃお互いを理解するのに溝は深いわ、と言った。