『バグッバイ』

に書いてある、自分がいなくなったあと、何かしら世界が違っていて欲しいということは、そういえば昔思ったことがあるなぁ、と思い出した。
自分が無になることを考えた。たとえば自分が死んだら。そのときクラスメイトや私と関わった人たち、そういった人たちの心に深く爪あとが残ればいい、なんて。
でも所詮、自分がいなくなったところで、やっぱり地球は普通に回っているし、悲しみにくれても、みんなには明日の生活がある。いつまでもひきずってはいられない。絶対に風化するのは間違いない。
今は大分そんな爪あとが残ればいい、なんて思うことはなくなったけれど(あぁ、でも葬式にどんな人が来るのかな、とかくらいは思ったことがある。姉の高校の時の元クラスメイトが進学先で1人暮らしをしていて突然亡くなったこととかあったし)。
普段、気丈に明るく振舞っている人ほど、心の影の部分が大きくて、死といったモノに非常に近いところにいるのかもしれない。