やっぱり

身近の友達が絡んでくると、なかなか言葉にはしにくいのだろうなぁと思ったりする。自分がこういう文章の書き方をして、そういう文章を好んで読むようになったから、ズバリとした物言いがないのは物足りない。別にそういう物言いじゃなくてもいいけれど、表面的にしか書けない様な、語彙が本当の本当にないような文章。柔らかな物言いでもいいから、多少の自分なりの感想が述べてあることを求める。文章に親しみ、書きなれていることがそれの必然条件になるわけだ。論理的でもいいし、感性的でもいいから。
ということを感じたのは、知り合いが書く、知り合いに向けての文章に対して。
文章が全てのはずはなく、会った時の印象は文章のそれとイメージを裏切られることも多々ある。それはわかっているつもりなのだけれども、今の私はついつい文章を重視してしまう傾向にある。