電車

の中で、珍しいことに出くわしたので書く。
まぁ電車の中で脚を組んでいた私が悪かったのだろうとはいえ。隣に座っていた女性が友人らしき人と何やら愚痴愚痴言っていて、最初は酔いもあり、メールに夢中になっていた私は気付かなかったのだが、メールも終わり本を読みだしたときに何か言っていることに気付いた。
いわく脚を組んでいることに対する嫌悪感。お、まずい、私組んでるじゃない、と思ったのもつかの間、さらに隣でいろいろと友人と喋っていたので、素直に注意されるのならば普通に聞こうと思ったけれども、へそを曲げて私は脚組みを止めなかった。すると会話はヒートアップし、やれ育ちが悪いだの、まだ気付かないなんて頭が悪いだの、ブスな顔をしているだの喋っていたので、おーおーおーこれは喧嘩を売っているのだなぁと思いながら聴いていた。脚を組まれることに対しての迷惑をこうむったから、そのこうむった分だけどこかで幸せになれるよ、なんてことを友人と話していたので、おやおや自分たちが行っているその口の悪さには目を向けないのだねぇ、なんてことを思いながら本を読んでいた。
それと同時に、人を動かすにはどうすればよいのか。少なくとも彼女たちの行っている方法ではまったく効果はないし、逆に人から憎まれること多数だろう(まぁ、それは彼女も自覚していたようだが)。人に不快感を与えずに、注意・喚起を起こすやり方を考える上での反面教師。あとは彼女たちと一緒に働いている人たちへの同情かな。
去り際に皮肉でも言ってやればよかったのだろうけれど、気の利いたセリフも思い浮かばなかったし、面倒だったのでしなかった。きっとそういうことは私の中にプログラムされていないのだろう。