普段

適当に受け流している人が時折垣間見せるその本音の部分に、そんなに怒ってばかりで疲れないのかと思ってしまう。
批難するその言葉に裏側で、今までどんなに期待をかけその気持ちを裏切られてきたのか、私には推し量ることは出来ない。その反動で出てきたのかもしれない。
半分その怒りの本音で予言された通りに、この道をひた走るつもりはないけれど、それでももう少し幅のある心で接したらと思ってしまう私はお気楽人間。
「出来るわけ無い」「するわけない」その言葉に高校生の頃までの私ならば反骨精神で戦ってきただろう。けれども今の私は、「何もそんな決め付ける必要ないだろうに」と思ってしまう。
1つの物事をじっくりと極めるほう。まず幅を広げようと思うほう。
人間性の違いに世代間の価値観の差異だとかも混じって。
それでも真摯に向き合う気持ちに違いなどないだろうに。
信じることの難しさ。
自分の経験してきた幅でしか理解しようとしないのは私も同じことで。
ただその言葉とは裏腹に、いい意味で期待を裏切ってくれることを望む気持ちも見え隠れする気もする。迫力ある激しい感情の表出の中に見える人間らしい思い。