この間

から思っていたことは、仕事についてのぼんやりとしたもの。
自分が今はまだ力が足りないのは承知。でもそんな今だからこそ考える必要性があるのかもしれない。
誰かから定義づけられた中で動くことは、それはそれでゲームのような感覚で、面白みがないわけではない。
自分にしか出来ない仕事があるということは、それはそれで幸せなのかもしれない。けれど忙殺されずにいたいと思うとき、自分にしか出来ない仕事が多いということは、それだけ自分の余暇を潰していることにもなる。
仕事というものへの価値を見出したいとき、余暇のことは考えるなともいう。
それが本当のことなのか。仕事に生きるということはそういうことか。
遠くのものがよく見えるようにいないと。旅をするように。時々はそういうものも必要だろう。
そういえば、東京に来てから、あまり遠くの町まで出かけていないな。