読んだ

本から思うことはいろいろあって、たとえば3日前に紹介しているアダルトチルドレンを扱った本(主に母娘関係だが)を読むと、過去の記憶がフラッシュバックして、私も本に書いてあるようなことと同じ記憶を持っていると気付いた。
飴と鞭の使いようというのをどこかで感じていた。子供のことはどこかで親が手綱を引いていなければいけないというようなことを母は言っていた。そういうものだと思っていた。だけど手綱なんか気にしない、母が批判するような同級生はそれはそれで自分たちなりで悩み、楽しみ、それはとても青春で楽しそうであった。絵に描いたような。
世間のいいところの言う常識から少し離れたような生き方をしている人たちに、私がその方法や度胸を尋ねたり、すごいと単純に思うところの起因は、そういうところからきているのかもしれない。
折りしも、少し前に読んだ本に書いてあった。大人が子供をコントロールするのではない、子供にはその子供の成長するプログラムがすでにあり、大人はただそのプログラムの手助けをするだけでしかないのだと。違う方向に捻じ曲げてはいけない、それをするから子供が歪むのだと。
読んだことのある異なる著者の内容がリンクする。
あるときふと思い出した、母の姉への異様な怒りを私は未だに記憶に反芻してしまうのだ。大人は時として、さも子供が我が儘を言っているだけという風に仕立て上げ、自分らの都合を押し付けるのだ。時間の切り売りや生活に余裕が無いのならば、余計にそうならざるをえないのだろうか。
今日、電車で2歳くらいの男の子を抱えた母親を見た。朝ほどではないにせよ、乗車率の高い電車の中は、子供にとって不快この上ない。不快指数が上がって泣き出す子供の感情を無理やりに怒りで押さえつけさせるくらいしか、手段を思いつかないこの街では、子供をのびのび育てるのも一苦労で、東京で教員をしている友人が、子供は東京では育てたくないと言っていたことをマジマジと思い出した。