最近

以前ほどの読書欲はおさまって、電車でもイヤホンで音楽を聴いているだけにとどまっているけれど。
以前からゆっくりゆっくりと内容もよくわからないまま読んでいる『資本論』を超訳した簡単な文庫本(と言ったってやっぱり中身は多少難しいのだけれど)。
資本主義を解説するその中で「自分たちの子供には立派な教育を施し、労働者の子供には手抜きの教育をする」(これは欧米社会は特に顕著であり、労働者のための学校と貴族などの出身が行く教養のための学校がある)。何よりも「出身が貧しい子供に限ってすぐに役に立つ教育に憧れる」という言葉。大学に入ってうすうす感じてはいたけれど。いろんな著者がしるした勉強の本でもあったけれど。
すぐに理解できることは大したものではない。抽象的なものごとを知っているある程度理解できる人が、結局は物事を察知できるようになる。応用が効くのだと。(和田秀樹さんあたりがよく言ってたな、このこと)
高校くらいのときに先生が言ってた、勉強する意味。当時は理解できなかったけれど、今ならばうすぼんやりと見えてくる。勉強することの意味。
でも本当は、いつぞやネットサーフィンしていたときに見つけたHPに書いてあったような、ロシアのたくさんの天才たちが、ものすごい量の勉強を自分たち自身も楽しみながらやっていたというような、そういうのが理想といえば理想なのだけれどねぇ。*1
逃げてきた人、逃げなかった人。それは数年たったらやはり見えてくるもの、らしい。

*1:天才というのはたいていそのようで、何時間もそれをやり続けることがさほど苦ではないらしい。天才を生み出すのは、子供がやりたいことをやらせる(道徳などに触れない範囲で)というのが1番なのかもしれない