クリアリング

をしなきゃ、したいと思いつつもなかなか前に進めない今日この頃。
いろんな方面のクリアリングというものがあって、悪縁を断ち切るのもその1つだと知った。
人といて引き出される性格はいろんなもので、相手が在っての自分という部分もかなり多く、それはさながら化学反応のよう(そういう意味でCHEMISTRYの2人の名前の由来もよくわかるような)。穏やかな気分で過ごせる心地よい人がいて、会う度に疲れる人がいて。
人のそういう話を読んでいたら、自分自身も振り返って似たような経験に思うことがある。理不尽な怒りをぶつけられ続けたこと、そのことでこちらが怒りを抑圧しているけれど、相手は自分が怒ったことをすっかり忘れていること。自分がそのまま怒りを吸収してしまい、それをぶつけてきた相手への怒りとして溜め込んでしまうから余計八つ当たりされることが苦手だ。
愚痴を言い合ってすっきりすることも必要かもしれないけれど、割り切りが必要で、だらだらと続けることは得策ではない。
母が何か愚痴をだらだらと言うたびに、帰ってこなきゃよかったかなと思いながら聞き流している。
何か溜め込んではいないだろうか。自分の心の状態を自覚しているだろうか。
がちがちに固められた正義というものに対しては、それを言われる側には怒りしか湧かない。それをより緩やかにしたときに、自分の心にも緩やかさが訪れた。
相手と向き合っているときの自分の心、相手との肌身感覚、それらをより鋭敏に感じられるように。