新しい

コンタクトだというのになんだか目がゴロゴロする。アレルギーか?
最近久しぶりの読書欲が沸いているような。会社での昼休みも本当は本をずっと読んでいたい。最近は、働いている時間に本を読んだり散歩に出かけたり、何か創作したり頭を猛烈に動かしたりしたい気分(当然できるわけがないが)。
昨日のライブの影響で首が痛い。
本の影響でくだらないことを延々と考えている。
なんで私らの歴史の教え方ってああなんだとか、いやそもそも覚えることがたくさんあるからって、単語覚えはないだろうとか。基礎ならば国語でもっと歴史的名著に触れてその姿を見るべきじゃないか、とかね。日本人として基本となる古典諸々をよくわかってないという自分自身の無知さは実際問題恥ずべきことだなぁ、とか。
養老孟司センセイは、文系の人間は理屈っぽくて、なんでも自分の理屈の延長上にものを見て、とか言っているけれど、不思議なことに私は似たようなことを逆に理系の人に感じていた。不思議だね。あ、でも『99,9%は仮説』という言葉が言うように、実際問題は説明がつくことのほうが少なくて。ファクツということに実験等の為に現場で直面する理系人間のほうが、人間の脳味噌で考えきれない不思議な存在を知っているということを言いたいんだと思いはする。本当に一流の人間っていうのは、そういう人智を超えた存在を感じ取っているものだということだ。
そういう思い巡らせで私の頭が構成されている。
そういえば、COOKPADなんかでメニューを見るのが楽しい。この間人生で初めて海老を買ってみた。小さい頃かたとても馴染みがあってしょっちゅう食べてたのに、1人暮らしでマトモに食材にするのは初めて。
香りのよさにたまらない気分になるけれど、縮むことに残念さも覚え(そして関係ないが、今自分の語彙のなさに憂い)、ネットで下処理を検索したら、片栗粉を使うと縮まないと聞き、さっそく片栗粉で粉まみれにした。付けすぎてもはや衣と化していたが、本当に縮まず、海老の水分がしっかり感じられる出来だった。
地味だけれど、こういうのが楽しくもある。女はしっかり働き者でなければ。
今日は豆ご飯の仕込をするのが楽しみ。