に入りにいった温泉での周囲のおばさまたちのお喋りの内容の雰囲気と、自分が使っているものを親に勧めてみようと思って電話をしてみたけれど、電話の状況が悪く意思疎通がちゃんと図れず母のほうの話題のテーマだけ言われ、やりとりの仕方にすっきりせず一回切ったことに加えて、付随して過去のことを少し思い出して疲れてしまった。
生真面目すぎる母のこと、今回のことをどう思っているのかを過去の話から推測した段階では正直いい薬だと思った。囚われる必要のないことに正義感だかで評価を加えて、それを聴かされてきた身の上として。いいも悪いもなさそうなことなのに。
人の感情に時折ひどく自分の感情も揺さぶられる。そのことに気付き、また愚痴を聞かされれば聞かされるほど溜め込んで鬱になりやすいと気付いてからは、人付き合いの際には、本人が本当に頑張っていてその過程で出たものか、建設的な話以外からは身を置く事にしている。
そうしていたら、だんだんと私は自分をゴミ箱にされていることが嫌になってきた。またゴミ箱にされていたことに怒りの感情もふと湧き上がることが出てきた。
愛情を持ってくれているのも分かる。今回の件にしたってそう。最後のところはそうなんだ。
でも脊髄反射の部分はやっぱり私には時折強烈で、その毒を抜くのに苦労する。
礼儀正しさは大事だけれども、妙な道徳に囚われ過ぎるのも損な生き方だよ。
声を大にして言うべきだろうか。そうでなければ愚痴を聞かされて辛くなったり、いつまでも過去のことを思い出して恨んだりしてさらに自家中毒になるなんてことは減るかもしれない。
そんな想像をかき立てられた朝。
恨みの感情って意外に根深く巣食ってる。