肩肘

張ったような生き方をしている人を見て今まで頑張って来たんだねぇ、とお酒の勢いもあって言っていた。
自分にも解釈を変えたほうがいいことはきっと沢山あって、それは今後ずっと調整中なのだけれど。
そんな私と似たようなものをきっと抱えているんだろうな、けれど調整を変える方法があるんだよってことを知らないのかもしれない、という人を見ると相手にもよるけれど余計なお節介を言葉でかけてしまうような気がする。
けれどたまにふと感じる、相手への違和感、それを言葉に出すこと、そういった感覚は養いたいものだなとは思う。