程々

の距離はあるんだということを改めて実感する。
実家に帰って親と話をしようとしてみれば、興味のある物事も違えば同じ対象物を見る時の価値観にも相違がかなり生じている。
時折うんざりする時もあれど、もう少し話をしていたような気がしたが、立ち位置のあまりの違いに話もだんだんはずまなくなっていく。
姉は上手く話をしている。今からすると今回の帰省の中で姉は上手い具合に緩衝剤になっていたのだと思われる。
最近さらに感受性を尖らせることが多いのに、不必要な雑多な騒音に、それだけで私はイライラを募らせていた。
価値観の違いと抑制の言葉に何を話す気にもだんだんなれなくて、だんまりを決め込む私に母はあんたはそうやっていつも不機嫌な顔をすると言い放つ。
両親の愛情が分からないわけでもない。何がしたいのか食べたいのかを聞いてくれること、親としての責任。ちゃんと大学まで出してくれたこと。けれど必ずしも一緒にいることが幸せというわけではなくて。それは機能不全家族でなくても起こり得るのだってこと。
親の愛情と、あまりの価値観の分かり合えなさを思って、1人車中で風景を見ながら涙を堪えるのに必死だった。
そのまま久しぶりに会った気心の知れた友人にその話をしたら、一度親に会ったことのある友人は非常に納得したようだった。
なかなか人に理解され辛い私の心や性格を手に取るように分かるその友人は、そもそもその性格だったら生き辛いでしょうと私に笑う。
周囲の雑音や感情を拾い過ぎるからイライラしていることが多い最近。
自分に厳格過ぎるから、振り絞り過ぎている力をもっと要所要所で抜けばいいのにと言う。でもやっぱり妥協するくらいなら初めからいらないと私は言う。そこだって、と友人はふざけながら真剣に強い口調で言う。
母の厳しさは外に対してのもので、私の厳しさは良心に対してであり、形だけのものならハナから要らないと思うそれであり、だから母の言葉は常に抑制として聞こえるのだろう。
折しもおふざけでその場の勢いで占いに行ってみたら、それがまたドンピシャな結果を出していて、特に両親とのそれに友人と非常に納得したのだった。
一見何も考えていないように見えて実は色んなことに頭を巡らせていることも、気に入っている人にほどひねくれた10歳の子供のような絡み方をすることも、それら全て分かって、私の言い放つ時にはキツいギャグや意味の分かり辛い単語にさらりと答えたり、たまには叱ったように見せてみたり。
そんな友人に出会えて、その関係の永続を疑わないでいられる、少なくともそのことが幸せであるのだと思う。