ふと

入れてみた懐かしいCDのベース音がやたらと今日は聴き取りやすい。実はいたってシンプルな作りの音に、久しぶりにベースを触ってみる。上達する間もなくすっかりなまってしまっている腕。すぐに変わってしまった音にひきずられて、肝心の音を忘れてしまった。
小さい頃はやっていた当たり前の音遊びも、今では拾うのが苦手になってしまって、せっかく買ったキーボードにでも手を伸ばせばいいのだろうけれど。
ベースのコードはフレットとにらめっこして頭で考え考えしないと思い出せない。EFGCD…
穏やかな歌が聴きたいのは本心だけれど、少し切なさが残る世界観が好きなのは変わらずで、SOPHIAのマテリアルはもう10年以上経った今でも、心に突き刺さる。
レミオロメン朝顔が懐かしい。
少し難しい旋律の歌をなぞってみる。
歌の上手い人たちはいくらでもいるけれど、何を思い、言葉にして、メロディにしたかったのか、その過程が大きな違い。
では自分は?と振り返って、振り返って、それでいつも終わる。

流行りだからそんなのすぐに廃れると毒づかれたことを時折思い出す。そんな予想はひどく裏切られて、10年以上昔に聴いた曲は大きな思い出であり偉大なミュージシャン。
何に興味を持ち、どこに感動するのか。思えば主だった周囲はそんなことには誰も注意をはらってはいないようだった。それは私自身にも悪い癖となった。
形の道徳だけでなく、心の機微にも注意をはらって欲しかったなぁ。正しいとか正義とかによる批判ではなく。