少し

前に知り合った人から依頼を受けて、ライブを撮影しに遠路はるばる1時間半。
まったくの明るいカフェテラスで撮影することはそういえばないなぁと思いながら、蛍光灯の色の出方に新しい発見。
どうしても同じような構図になる中、どうしたら表情を捉えられるのかを考えていた。目で見えている表情と写真でおさめる表情のタイムラグ。なんだか表情がこわばっているなぁと思っていたら、少しずつ進むにつれて一気に表情が崩れた瞬間があって、それから歌声もぐっと変わった。
普段ライブを観ても、ある程度のレベルだったら「良かったよ」としか言えなかった自分だけれど、あぁ調子の良し悪しとはこういう部分に繊細に気付けるかどうかか、とすっと腑に落ちた。
それから少し時間をつぶして今度は大学の仲間と少人数でご飯。
今度結婚する仲間のことを後輩が相談しつつ、昔のことも語りつつ。ものすごく限られてしまった狭い世界に、楽しい思い出もありつつも、価値観の押し付け合いっこになってしまったことのしこりも私の中ではあった。
世代が少し離れた先輩の話を聞いたりした時に、全くもってそれは囚われる必要の無い些細なことだったのだと、少しずつ少しずつ自分の中で溶けてきている。許せない感情があったりもしていたけれど、それを本当の意味で手放す時がここ最近なのかもしれない。なんて小さなこだわりに感情を費やしていたのかと。
人と話していて、自分のことを教えてもらったりふと気付くことには、世間一般では比較的常識とされるような仕事が多分私はあまり向いていないようだということ。
今日も仕事を言ったら「は!?向いてないね」と久し振りに笑われた。
そして今度は、この知的好奇心を別の方向に使ったほうがいいようだ、というサイン。
私が書いたり言ったりすることが、仲間には目新しすぎてすぐにはついていけないということ。反応の無さに半ば落胆していたら、そういうニュアンスのことを教えてもらって、あぁそうかと気付かされた。
1を10に広げる役割。
そういえば好奇心からくる情報が耳に入ってくるのは早いのかもしれない。