なんだか

仲間らとはやっぱりずれているのだろうなぁということを感じて、それが嫉妬の感情を憶えているようでもあり、寂しいと言っているようでもあり。
その共感性のずれをどうにかしようと思っても、それは自分じゃないと結局言うだろう。孤独であるということを分かっているはずだけれど、ふと自分の後ろを何度も何度も振り返ってみてその動向1つ1つが気になるのは、秋の気配が強まったからという理由ではいけないかしら。
イベントにどうも乗り切れなくて私は完全に最近は黙秘状態になっていて、その自分の感情がどこに由来するのかが分からずもやもやしっぱなし。イベントの企画の最初に立ち会えなかったが為に共感性をずっと欠いているのだろうかと思っていた。
そしたら今日ふと立ち読みした本に絶妙なことが書いてあって、結局自分じゃなくても出来ることに興味が無いのだということを見た時に、そういえば自分は大体そうだったなぁと合点がいった。
立ち位置が違う人の事はすんなり割り切れるけれど、立ち位置が似通っている人ほどいかんともしがたい感情によく囚われる。実は意見の収束が着きにくい。だから各々の役割を意識することが大事なんだと思っている。そうでないと納得出来ない。だって個人の好き嫌いがモロに反映されてしまうしかないのだったら、同じ役割の人なんていらないでしょう。違う役割の人には諌め役なりなんなりの重要な役が与えられるけれど。
あぁそうなのかと、言葉に出来た分だけ少し腑に落ちた。