寝過ごした

まま本当は家でじっとしていようかとも思ったけれど、誰かが言い出した当初の予定よりも遅れること1時間半。のんびりと仲間は写真を見ながら過ごしていたようで、早々にはけてしまった人もいたけれど時間に余裕のあった人や遅く来た人はまだ残っていた。
私は少しだけ様子を見て満足してみんなと写真を飾っているカフェにご飯を食べに行く事にした。
何がいいかとかそういうのもよく分からないけれど、文章を読んだ時にその言いたい事は私も同様だったりする。それがたとえ人から見たら素人のような考えであっても。
仲間の写真が飾られている別のカフェに行って、話をしていた。少し前から人に話をしていたことを角度を変えて話したりしていた。私の心にとげのように刺さっていた話に対して、その核心を突き刺すような真正面の話はせずに柔らかい口当たりの話しかしなかったけれども、なんだか今日のそのまわるような様々な価値観に対する話をしたり聴いてもらったりした中で、そういう過程を通したことで少しほぐれてもきたみたいで、結論がどうだとか白黒のような話でなく、話題から少しずれた話であっても何がしかのそういうサインはあるのだなと思った。人と話をしてみないと他の人の考えの根底はよく分からない。過程でも結果でもどちらでもいいけれど何かしらの共感性がないと嫌だと思っていた私。それまで少し聴いただけの中では分からなかったけれど、集団でなく向き合って話をしてみた中で片鱗に触れたのだろう。そういえば1対1で向き合って話してみることは今までめったになかったなぁ。ただ機会が無かったということなのだけれど。