対価交換

の意味をずっと考えていた。
それにぼんやりと自分の中で答えが出ていた最近だったのだけれど。
ふと目にした記事たち(それは一連の流れがあったのだけれど)を見ていて、最近気付かされた自分の中での受容出来ないことに該当するなと、珍しく記事の中で怒りを感じていた。
その原因は1つは先日友人と話した地方の女性達の人間関係についての本にも由来する。
私は本の中身を知らないけれど、その本を読んで自分は無理だと感じたという友人の多少のおちょくり(自嘲も含めた笑い)に私は珍しくひどく怒っていた。
そしてまた今日目にした記事達の中身。
昔たまたま飲み屋で出会った出来事。
こちらが明らかに見下している場合はさておいて、それ以外の、人それぞれの普通の経験においてそれをジャッジメントし劣等感を勝手に抱き、かつ話者に責任を負わせるような言い方に大分立腹している。
もちろん先ほどの通り、話者の明らかな見下しもあるし、世間知らず過ぎ&自分の環境を世間一般当たり前に思ってしまう傲慢さもあったりする。
けれどたいていは、それを得る為に、時間・お金などのなにかしらをずっと懸けている。
コンプレックスを感じるのは勝手だけれど、その相手はそういう時間・労力・お金を懸けてそれだけの技術や経験を得てきていることを分かっているの?
「あなたは◯◯だからいいよね〜」というべったりとした羨望の中で、あなたがどれだけ孤独な時間1人で打ち込んできたのか、それを一時でも考えたことはあるかなぁ?
もちろん効率よく得られたとか、回り道してきたとかあると思う。けれど何がしかをみんな払っている(そこに伴う感情が楽しかった・苦しかったはまた別問題だが)
勝手に被害者意識を持ってコンプレックスを感じる人らはそこまでちゃんと想像出来ているかしら?
そんなことをふと思ったりするのです。