同じ

ような日々、時間を過ごしながらもつかみ取るものの大小の違いは、よく言われるその人の感受性の豊かさの違いなどというものなのだろうか。
生まれてから死ぬまでの間の暇つぶしの時間に、どう過ごすか。
やっぱり色んなことを知りたい。
仕事のこと、世の中の仕組み、それらの活用方法、芸術、歴史、その他教養。
何でも知りたがりの私は、小さな頃からよく全知全能に憧れた(人間である限りそんなことは無理な話ではあるけれど)。
知っていること出来ることが全てでは決して無いこと、あえて口を挟まない優しさや思いやりがあることはさすがに承知している。
やっぱり一生懸命に何かを頑張っている人を好ましく思うのは、迷ったり悩んだりしながらも私自身が向上したい思いがずっとあるからなのだろうな。
(時折能力主義に陥りそうな罠は怖いけれど)