人生は

RPGみたいなもの。
たとえば今日私が隣に座っていたフラフラの女の子に手助けをするのはきっと課された課題だったのだろう。私だって同様のことはいくらでもしている。それを思えばなんて容易いことだろう。
それが一期一会であったとしてもきっと仕組んで来たことなのかもしれない。
そんなことを最近ふと考える。
善し悪しの判断をするのは自分で、行動を止めるのも自分なのだ。
尾びれのように物事に感情や損得をつけるのも。それをする度に、どちらかといえば思考派の私は考え過ぎて動けなくなってしまっていたのだ。

私はただ遊んでみるだけ。
世間一般的に言われる恥も、自分自身が精一杯真摯に向き合って得た結果だったり、その逆に敢えて普段はやらないゲームにチャレンジしてみた気概の結果だったとしたら、そこに残るのはきっと勲章なのだろう。
ひたすら経験値を積むこと。
時には自分のエゴを丸出しにしたり、その結果色んなものを失って泣いたとしても。
息も継げないような仕事を抱えてこなしたり、時には泣きついたり、ガス欠を起こしたり。
人と上手く関係を築けなくて泣いたことも、人を責め立てたこと、自分を責め立てたこと。
それらもすべて過程をじっくり経て、そこから何かを学びたいのだろう。

ある程度を周回してきて今思うことは、もう以前のように自分を責め立てたくはないということ。
プライドが高く意地っ張りで弱音を吐ききれず、けれど本当は寂しがり屋で完璧主義な自分に。
肩の力を抜くこと。カッコ悪くても恥ずかしくてもそれも経験したかったということ。今の価値観だけにとらわれないこと。自分に真摯に向き合い、いかに自分が心地よく過ごし、その姿が他人との調和を生み出す源となること。他人からの評価を全て受け入れる必要は無く、最終的な判断は自分でしてよいこと。他人の面倒への最終的な落としどころの責任をもたなくてもよいこと。いい意味で自分を甘やかしてあげること。
そんなことを思っていきたい。