ご飯

やお酒が美味しいかどうか、それも精神的な至福を満たしていること、というのは大きなバロメーター。
なんだか立ち寄りたくなったとふらりとやって来て、好き勝手話して、意気投合したり、その時間を楽しんだり。そういう場所と仲間があることは幸せだよ。これはずっと昔にずっと欲しかった幸せ。

愚痴をこぼしたくなることはあって時折口に出すけれど、それは相手を悪者にしてしまうような気もしている。互いの歯車の噛み合わなさがそれを招いているので、それには私自身も要因があるのだろうけれど、そこで確実に消耗していることを思うと、すーっと流れる場所で消耗することなく生きたいと最近特に願っている。
外の入れ物を変えたところでおそらく同じことの繰り返しになることは目に見えていて、私がどうしたいかをはっきりさせることが必要なのだろう。
私の上手く生きやすいパターンとその逆を知ること。
1人で動くということが大事なのかもしれない。