それから

また南下。適当に道を歩く。すると哲学の道に出た。この辺りは桜が見ごろ。道を歩く人は結構いたけれど、やはりみんな楽しんでいるようだった。
英語だけでなく時にはフランス語も聞こえる。それで頭の中でフランス語を必死に思い出してみるけれど、「エクスキュゼ・ムワ(すみません)」という単語くらいしか思い浮かばず、途中で見事に英語に切り替わった。再勉強の余地あり。
川の流れが好きだ。緑が好きだ。昔から水というものにはなじみがある気がする。幾度か引越しをしてきたけれど、どこも川の近く。ここのように川底まできれいに見えると、触ったり入っていきたくなる。水面に見とれていたい。昔は退屈でしかたなかった自然も、今では触れていたいところ。戦後に不自然に植林された針葉樹林帯は、育ちすぎてどこか人の侵入を阻んでいるような気がするけれども(ただ単に手入れをしていないだけかもしれないけれど)、もみじはとても好き。春という季節でも紅葉は美しいのだと思い知らされた。そして昔、金閣を訪れたときにも思ったけれど、京都は苔が美しい。緑の美しさに、苔が一役も二役も買っている。光っているかのように黄緑色をしていたり。けれどその美しさをより鮮明に記憶にとどめておこうと写真を撮ると、肉眼で見る美しさに敵いはしないとつくづく実感させられてしまう。デジカメどころかプロのカメラが欲しいくらい。
また途中にあった神社に立ち寄りながら、気がつけば南禅寺へ。