が好きなアーティストはどこかとんがっていて、そのとんがり、感受性ゆえにどこか世の中の空気に上手く馴染めないでいるみたいに見える。
水野創太も藤君や門田さんとどこか似たような世界観を持っている気がする。彼の日記をたまたま見たのだけれど(私はあまりアーティストの日記を読まない。友人の日記でいっぱいいっぱいだからw)、コマーシャリズムといった資本主義の大きな流れと、ホンモノとのはざまで非常に苦しんでいるように感じた。だけど彼の言葉はホンモノだと思う。単語の使い方1つ1つが、細やかで。
うちの母は、すぐにみんなが理解できないものや、一見意味を持たないような言葉・単語の羅列は、いい音楽の歌詞ではないといつか言っていたけれど、それはちょっと違うように今の私には思える。
押し付けがましいような恋愛の歌が嫌いで、それは散々過去にも話してきたことだけれど、わかりやすい歌詞だからといって、それが好まれるとは限らない。むしろそういった表現に飽きてきた中毒者たちは、今までにない世界観を求めて、より難解なものへと挑戦しているように見受けられる。抽象的な表現であったり。前衛的であったり。
だから、私は彼らのような表現者が好きだし、今の私の時点において、そういった表現を聴いていきたいという気持ちでいる。コマーシャリズムにのらない、自分自身の探求というものが、やっぱり心ひきつけられるもののようだ。