分かって

いることをいちいち言葉に出したくはない。
ノンバーバルコミュニケーションっていうものは、柔軟かつカンが良くないとできない。色んな人と接するとそれが分かってくる。そして何より相手に意識を向けること。
主張をするのは理解出来ていないから。だから相互理解のために互いの腹を話し合う。
間は読む為のもの。言葉に発してはいないことに思い馳せる時間。
察することも主張することも日常生活を営む上ではどちらも大事。
でも分かりきったことを確かめ合うなんて面倒くさいと言う私。それもまた人と関係を持つ上で自分を磨く勉強なんだよと知人は私を諭す。私は少し納得する。
分かり合いたいのなら、そもそもの前提条件から教えてよ。中途半端なんて気持ち悪いじゃない。言葉でないとなかなか理解出来ない間柄なら。
経験を思い出してそう思ってむくれ気味になる心。
匙加減は相手によってまったく違って、私は時々近しい相手ほど厳しい目を向ける。良くない癖ではあるけれど。
言葉にしたいこと、したくないこと、わかっていてほしいこと。
一致しないから勉強なのだろうな。
もうちょっとあうんの呼吸があればいいのに、なんてパズルのピースをはめこむようなことをどうしても期待してしまうけれど。