おそらく

権威みたいなそういうものには一生縁がないという気がする。
はめられた型通りのこと、それが続くと息苦しい。
その最もたるもの、学校というところではどうしてもどこかずれてしまうし、間に受けすぎる性格に押し付け主義は自分の心が見えなくなってしまう(そしてよくしたもので最後にはその吸収したものをひっくり返すんだ)


下手くそで恥ずかしくてマトモに見られなかった自分の撮ってきた写真も、少し時間を置いて見た今は肯定的に見られるようになった。
呪縛のように言葉がずっと頭の中にあったけれど、そんなことを一言も言わない感性の人に救われた気がする。
簡単に言葉に出来れば写真なんていらない、なんて横暴だろうか?
感じられない写真ばかりだと言われても、何かが静かにそこにある気がするんだ。
心のピントがずれていたとしても、そのズレもまた経過してきた自分なんだ。