書評

等諸々。
岸田秀氏の本は、文体等少し読みづらい。歴史的検証ならばもっと客観的事実を淡々と述べられているほうがいいが、もともと歴史のほうの出ではなく、史実に基づくというよりも心理学的部分からの考察のせいか、どうしても主観的になりそれを参考にして見ていいのか疑問符がわくことが多いという印象。*1
斎藤孝氏の本は過去にも2.3冊読んでいるが、結構好きだと思うことが多い。孤独に関する本は中学、高校生くらいの頃に読んでおく内容だと思う。
そしてそういった経験を多かれ少なかれみんな思春期にしているはずだろうけれど、そのことに関して積極的に認める人は少数派だなぁと思う。1人では生きられないけれども、結局は人生は1人で全うしなければいけないことで、他人にその判断を委ねることなんて本当は出来ないことなのに、容易に周囲に流されてしまい、それが大人になっても続いている人もいる。
感じる閉塞感はきっと生産性の無さなのかもしれない。
馴れ合いで付き合って生きても孤独で、それは1人でいる時間よりもいっそう際立つから、もうそれは選択出来ない。
論語の本も読みやすかったし、至極当たり前の内容ばかり。実践出来ているかどうかということに関してはそれはまた別。
孝や仁や悌や義といったもの。今ではあまり耳にしなくなってしまったなぁ。*2
文章を諳んじて言えるまで覚えるという経験。小学生の頃ならば国語の教科書に載っている詩なんかを諳んじていた記憶があるくらい。昔に新聞の投書か何かで、論語の暗唱が幼い頃は意味が分からなかったけれど大人になってから非常に血肉となって生きているというのを読んだっけ。
というわけで論語は一読しただけでは意味がない。。。

*1:本人は史実検証よりも主観に基づいている文章に関しては分かっている

*2:そういえばつい先日飲み会で友人と話していた時にそういう話題になったので、教育勅語を復活させればいいなどと半分ふざけて笑いながら言ったら、戦争問題があるので難しい部分もあるだろうと返された。友人自身もあれは単に論語の内容を簡易化しているものだというのは知っているけれど。