単なる

ボリュームだけではないと思う。
死と生というのは生物すべてのテーマであって、撮り溜めたその期間とも相まって、いかにも若い女性写真家が撮ったような写真であるのに、全てを見終わったあとはすごくどしんとくるものがある。
ことさらに生を良しとし、死を悪しきモノとしているわけではないのだけれど、古今東西の哲学や神話のテーマに挑むということはそういうことなのだろう。生も死も何もかもすべてはただ流れて行くものなのにな。
それは写真集というもの、沢山の写真の構成による力でもある。主題の写真、それを緩和する写真、補足する写真、因果関係の写真。
写っている食べ物や色々。自分の田舎の方もそういう風習だったりしたっけなと思い出す。似たようなご馳走。小さい時分は卵と魚以外はほとんどのものが苦手だった。今ではもう少し食べられる。
それは同時に自分の中の昔の苦い感情を思い出されもする。
こういうところまで撮っているのだなという写真。気付かなければ流してしまう。だけれどそれを撮るシチュエーション。
なんだろう、色々と考えさせられてしまう。