借りて

きた本をいくつか。

すぐに読み終わるとても平易な内容。
最近のマンガやゲームのクリエイターは神話が好きな人が多いのだなぁというのは眺め見ていて思う。図書館などでよく目にするのはおそらく古事記ギリシャ神話などだろうけれど、ゲームの影響か北欧神話に影響を受けている人が多いことに意外性を感じる(私はRPGものを一切しないのでその辺りの事情がよく分からない)。
神話自体に世界で共通する部分が非常に多いのは神話研究をちょっとしている人ならば常識。
(余談だけれど、一見残酷なように思える物語でもその中にある薄暗いその部分は人間にとっては必要とは河合隼雄氏が語っていたことで、それなのに安易に道徳の教科書にありがちな編集のされ方をしていることに非常に気味悪さを憶える。それは薄暗いその感情を持つ事への否定になるし、それらを持ちそれに上手く対処出来るようになるのが人間の自然な姿ではないのかと思う。むやみに闇の否定をすることが果たして幸せなのかという疑問。)
学校で習う古典の世界の話は、子供向けの話も多くて慣れない平安言葉はともかくとして、内容は実は平易であることが多い(宇治拾遺物語とか)。エッセイだったり。源氏物語のようなものはさながら今でいうところの学園もの恋愛マンガだったりするのだろうか。
その中で息づく感覚を1000年経った今も私たちが奇跡的に持ち合わせていることは、敏感な人は感じ取っている。相変わらず世も末だと嘆いているのを聞くと、1000年経っても末法思想は不滅であることに思わず笑ってしまう。
世界的に日本のアニメやマンガの世界観が受け入れられていることがとても嬉しく誇らしいことだと思う。
以前にふと仲間に話したことだけれど、世界的に見てとても平和な時代は縄文時代平安時代、江戸時代だったのだと思うと口をついて出た。多少の小競り合いなどはあれどもその希有な平和を十分に享受している感覚が世の中に広まって行くことは素晴らしいと思う。
この本を読んでみたら、セーラームーンをもう一度読みたくなった。一応全部なかよしで読んでいたのだけれどね。
木村伊兵衛の眼(レンズ) (コロナ・ブックス)

木村伊兵衛の眼(レンズ) (コロナ・ブックス)

賞にもなっているくらいとても有名だけれど、よくよく考えてみたらあまり写真を見たことがなかった。ライカを愛用していたという氏はとても大事に手入れをしていたという(カメラをほったらかしに置いている私には耳の痛い話・・・)。
パリに行った際にロベール・ドアノーらと親睦を深めていたということだけれど、そのときの写真を見たらなるほどとてもドアノーの写真と雰囲気が似ている。場所がパリだから余計それを感じるのかもしれないけれど、被写体の自然さがとてもよく似ている。
デジタルカメラ世代の私たちは枚数を沢山重ねて練習することが可能だけれど、フィルム時代はそうはいかない。けれどその1枚に対する重みの違い。つい偶然性に頼ってしまうことが多いけれど(実際瞬間というものは神からの恩恵みたいなものだと私は思っているのだけれど)、よくよく周囲を見てわずか1枚、せいぜい2,3枚で収めてしまう計算と技術。今の私に欠けていることだなぁ。
計算が過ぎることは我の押し通しみたいな気がしてしまうのだけれど、そうではなくて幸運の女神のチャンスをきちんとつかみ取ることなのかもしれない。
追いかけて沢山は撮らないというのはエグルストンも一緒だったなぁ。彼は対象物に対してシャッターは1枚しか切らない。
1人の写真家を追いかけて、その姿を知る事は本当に勉強になるなぁと思った。
モノクロを見ていると久し振りにフィルムを触りたくなる。しかしカメラのレンズに入り込んだ汚れの手入れをどうにかしないと。。。