棚から

ぼたもちのように魔法みたいなもので一気に自分の中身やら環境やらが変わることを望んでいたのだと思う。そこにあった感情はこのままじゃいけないという不安から来る焦りや自分に対する無力感で、自分に対する不足の充当をどうするかだった。
友人からも時折ストイックさを指摘されていたけれど、元々の凝り性の性格にそういう余分なものがプラスされて余計にそうなっていたのだと思う(もっともストイックさはやっぱり変わらないけれど)
焦りのあまりに魔法を期待するほどだった時はその様々な加速度と無力感に耐えきれず、人からの指摘が全て自分の無力感を肯定するようで辛かった。全てを投げ出して捨ててしまいたい気分になることもあった。
その上で自分でどうにかしなさいと言われても無力感という土台には何も乗らない。結局それを改善するには、無力感という土台を自己肯定感という安定した基盤に変えなければいけない。それは何がしかの続けて来たことに対する自信だったり、発見した自分の強みの存在だったりなのだろう。
ある時から肩の力が一気に抜けてからは、魔法の力を期待する乙女的心は変わらずあっても、地道に努力を積み重ねている人の話を聞いて、少しは真似してみるだけの地べたを這うようにゆっくり行くことも覚えて来た。
魔法を使ったように見える人ほどその見えない努力は凄まじい(人によっては努力と思ってないかもしれないけれど)その努力に耐えられない程の無力な人間かと言われたら、おそらく能力的には個々の大差はなくて、結局は周囲の環境や本人の資質との関係なのだろう。いわゆるコーチングやマネジメント的な。
ゆっくりと積み重ねることを良しとしたら、魔法はあれば嬉しい程度に落ち着いた。魔法に頼り過ぎては自分が堕落する。でもそんな道が案外近道なのかもしれない。