でも音楽は好きで家では音楽ばかりだけれど、やっぱりそういうものの吸収の情熱は10代の頃が1番強いかもしれない。
久し振りにGLAY岡本真夜を聴いて、久し振りにカラオケで歌ってみれば、多少難しいものでも10代までに覚えた歌はスラスラと歌えてしまう。思えばあれだけ歌詞をきちんと確認しながら聴くなんて今はしないもの。
カナリア』を10数年ぶりに歌ってみればその詩の世界に置かれている状況がありありと思い浮かんできた。きっとサラリーマンをやっている友人知人との会話の一コマなのだろう。そういえば私も昔にミュージシャンの人と話した時に、実はサラリーマンやOLの世界に憧れがあると言われたこともある。ベースを一時的に習っていた時の先生はサラリーマンがいてくれるおかげで自分らが音楽で飯が食えると言っていた。
昔、辛い時の私を唯一裏切らない確かなものは音楽だと思っていた。
互いが互いの為に汗を流すとはきっとそういうことなのだろうと思っている。互いが互いの役割をこなし誰かの為になる。
まだ歌詞の世界もよく分からないまま昔から聴いてきた歌が、こうやって10数年経った時に改めて沁み入ってくる。そういう歌が当時の流行歌としてあって水を飲むように聴けて幸せなことだと思う。
そうやって心の支えとなってくれる歌を若い頃に沢山吸収してきたから、もしかしたらあえて最近の歌を聴く必要がないのかもしれない(音としては楽しんでいるけれど)
けれど世代が異なれば大切にする価値観も変わってくるから、私が昔の歌を聴いてその良さは分かっても時折歌詞の世界の価値観についていけないように、今の10代らの人が心の支えとして吸収する音楽はまた違ってくるのが当たり前なのだろう。それが時代の流れで。
そんなことをふと考えてしまった。